中村憲剛選手が、これまでのサッカー人生で培ってきたサッカーがうまくなるヒントをお届けする「KENGOアカデミー」。
今回は「自分を客観視する」ことの大切さについて、憲剛選手に話をしてもらったぞ!

■ドリブルがうまい=サッカーがうまい?

"サッカーがうまい選手"と言われて、みなさんはどんな選手を思い浮かべますか? ドリブルで何人も抜いていくような選手でしょうか。1本のパスで決定的なチャンスを演出する選手でしょうか。あるいは冷静な読みで相手のチャンスをつぶす選手でしょうか。

正解は全部です。

サッカーというスポーツはさまざまな要素が絡み合っています。だから、ドリブルができる選手が11人いても強いチームにはなりません。守備ができる選手がいて、パスをつなげる選手がいて、仕掛けられる選手がいる。そうした役割分担があって、強いチームになります。

サッカー少年・少女の多くは、華麗なドリブルで何人もかわせる選手に憧れます。今でいえば、リオネル・メッシ、クリスティアーノ・ロナウド、ネイマールなどでしょうか。

今のプレースタイルからは想像がつかないかもしれませんが(笑)、僕も小学生の頃はバリバリのドリブラーでした。背は小さかったけど、すばしっこくて、ゴールもたくさん決めていました。5年生のときには全国大会にも出場して、地元ではちょっとした有名選手だったんです。

当時の僕はこう思っていました。ドリブルもできて、シュートも決められて、パスも出せる。「僕は何でもできる選手だ」と。

だけど、中学校に上がると、「何でもできる選手」だったはずの僕は、「何にもできない選手」になっていきます。一番のネックになったのは身長が伸びなかったこと。中学入学時点で136センチしかなくて、チームの中でもすごく小さい方でした。

しかも、新しくできたクラブチームに入ったので、メンバーは僕たち1年生だけ。対外試合になると、自分より上の学年で、20~30センチも身長差がある相手と戦わなければならなかったんです。もう、ほとんど大人と子どもの試合です。

ドリブルで抜こうとしてもつぶされるし、足の速さでも勝てない。自分が得意だと思っていたプレーがことごとく通用しないという現実を突きつけられました。

■自分に「できないこと」を認める

しばらく落ち込んで、サッカーを辞めようかとも思ったぐらいですが、この時間が、僕に大きな気づきを与えてくれました。それが、人には「できること」と「できないこと」があるということです。自分のチームメートを思い浮かべて下さい。みんな一人一人、骨格はもちろん、足の大きさや指の長さだって全員違うはずです。そうなれば、得意なプレーと不得意なプレーはそれぞれに変わってきます。

プロ選手にも様々なタイプがいます。全員が全員、メッシやロナウドやネイマールである必要はありません。彼らをパスで生かす役割や、守備面で支える役割の選手も必要です。

僕は足が遅かった。身体も小さかった。

それだったら、自分で抜いてゴールを決める選手じゃなくて、味方に良いパスを出す選手になろう。そうやって、プレースタイルを変える決断をしました。もしも、「点取り屋のドリブラー」であることにこだわり続けていたら、プロになることなんてできていなかっただろうし、普通の選手で終わっていたはず。

「中村憲剛」という選手はドリブルで何人も抜くことも、空中戦で相手を跳ね返すこともできません。だけど、僕はプロサッカー選手として13年もやってきて、日本代表にもなれました。それは自分の「できないこと」を知って、「できること」を伸ばそうとしてきたから。

自分に「できないこと」があるのを認めるのは勇気がいると思います。誰だって、何でもできる選手に憧れるし、そうなりたい。だけど、そうなれないときにどうするか。自分を客観視すること。これは上のレベルに行くためには絶対に必要なことだと思います。


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中村憲剛(なかむら・けんご)
1980年10月31日生まれ。東京都小平市出身。小学生時代に府ロクサッカークラブでサッカーを始め、都立久留米高校(現・東京都立東久留米総合高校)、中央大学を経て03年に川崎フロンターレ加入。06年10月、日本代表としてデビュー。国際Aマッチ68試合出場6得点(2015年2月現在)。05年から14年まで10年連続Jリーグ優秀選手賞を受賞。Jリーグベストイレブン5回選出。