強豪校の監督が今までの指導者としての歩みのなか、影響を受けた人やチームはどこなのか...今回は、熊本の名門・大津サッカー部の平岡和徳総監督にお聞きしたぞ!

平岡 和徳
1965(昭和40)年7月27日生まれ。熊本県下益城郡松橋町松橋町(現・宇城市)出身。松橋中学校から帝京高校へ進み、選手・主将として2度の全国制覇を経験。筑波大学進学後も主将として総理大臣杯準優勝や関東大学リーグ優勝などを果たす。大学卒業後は熊本県教員となり、県立熊本商業高校に勤務したのち、1993年より県立大津高校へ赴任。サッカー部監督、総監督として全国高校総体、全国高校選手権の常連校に育て、これまで50名を超えるJリーガーを輩出。2017年4月より宇城市教育長。

・熊本の名門・大津サッカー部|平岡和徳総監督がいま思うこと

「海外のチームでもよければ、ヨハン・クライフが先頭に立っていた'74年のオランダです。要するに、トータルフットボールですね。それがバルセロナの血になって今に至っている。次が、私が在学していた当時の帝京高校のサッカー。全国制覇を積み上げていた帝京のサッカーは、個の中にスター性があり、見る人を魅了し、その中身は'74年のオランダに似ていました。タッチ数は少ないけれども、『ボールを支配して、ゲームを支配する』というコンセプトでした。帝京のサッカーはボールが縦に早く入るし、ビルドアップでも前の選手を追い越していったり、ゴール前ではワンタッチのシュートだったり、オランダのボールの動かし方と同じような理想形があった。当時の帝京高校は、全国からうまい選手が集まっていましたが、トレーニングでは全てのメニューが2タッチ以下だったり、オールコートでのダイレクトゲームなどをやっていました。そこではミスが出るけれど、ミスが出ることによってトランジションが早くなるから、ショートカウンターとか、攻められていても1発のチャンスで点にする試合も多かった。その頃のサッカーがイメージにあるので、影響を受けた指導者はやはり古沼貞雄先生です。私が熊本に帰って教員になった頃から、キック&ラッシュのパワーサッカーではなく、ボールをつないでいくパスサッカーを指向してきましたから、九州の高校の先生方からすれば、僕の後ろには古沼先生の亡霊のようなものが見えていたでしょうね(笑)」

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