三重の強豪・四日市中央工業高校サッカー部のキャプテンは、どんなやりがいを感じて、どんな苦労をしてきたのか。取材協力してくれたのは、チームをまとめる山本龍平選手!
山本 龍平
■ポジション:DF
■学年:3年
■身長/体重:172cm/63kg
■出身チーム:TSV1973四日市(三重)
■自分の見てほしいプレー:「自分は身長は低いんですがヘディングの高さとロングフィードの精度を見てほしいです。足が速いというのも特徴といえば特徴なので、それを活かしたサイドバックへのカバーリングやルーズボールに先に触れるようなところも得意です。憧れの選手は高校のOBの坂圭祐選手(順天堂大→湘南ベルマーレ)で、坂さんも身長は高くないのですが、ヘディングも高くてビルドアップも上手いので、お手本にしています」
Q:どのような経緯でキャプテンに選ばれたのですか?
「2年生の終わりに全体ミーティングがあって、そこで急に言われました。サプライズ的な感じでしたね。けっこう仕切ってくれる選手がいたので、その選手がなるかと思っていたんです。そういうことは何もしてなかった自分が選ばれるとは全く思ってなくて、ビックリしました」
Q:予感すらなかった感じですか?
「去年からA1チームにはいたので、周りからは『可能性あるんじゃない?』とは言われてましたけど、まさか本当になるとは思ってなかったです。荒堀というセンターバックやサイドバックをやる選手がいて、その選手の方が喋るし、コーチングも良いし、元気の良いキャラクターなんですよ」
Q:ただ、キャプテンになるまではFWだったんですよね。
「そうです。2年生まではFWでした」
Q:FWとしての自分でキャプテンに選ばれたと。選ばれた後はどうでしたか。
「けっこう不安の方が大きかったんですけど、練習を重ねていくうちに慣れてきて。慣れることができたのが自信にもなっていったし、オレがやらなアカンな、という気持ちにもなれましたね」
Q:しかしFWでキャプテンはなかなかの重圧です。
「けっこう、プレッシャーでしたね(笑)。センターバックとかの選手がなるイメージでしたから、FWでキャプテンということにやりづらさを感じた時期もありました」
Q:得点しないと何を言っても説得力がなくなりますもんね(笑)。
「はい(笑)。だから最初は全然ダメでしたね。キャプテンのプレッシャーもあったし、上手くいかない時の方が多かったので、キャプテンとしてプレーで引っ張ることが全然できませんでした」
Q:そしてコンバートが行われるわけですが、どのような形でセンターバックに?
「まずFWからサイドハーフになって、ボランチをやって、その後にセンターバックになりましたね。それが去年の年末のことでした。キャプテンになったのが11月の終わりぐらいだったと思うので、短い期間でどんどんポジションが下がっていきました」
Q:もちろんFWをやりたかったと思います。そこから自分をどう変えていったのでしょうか。
「センターバックになった当初には、『やってやるぞ!』というよりはイライラしていることの方が多かったと思います。でもキャプテンという立場である以上、イライラしているわけにはいかないし、やらなければいけないという気持ちの方が強くなっていきました。そこはしっかり割り切れていますね」
Q:DFの楽しさは出てきましたか?
「正直、楽しくはないですね(笑)。でも、チームが勝つならいいですし、試合中は楽しさを感じてもいるんです」
Q:樋口監督からお聞きしたんですが、去年は大ケガをしていたらしいですね。
「左足の甲の骨がバキバキに砕けてしまって、腰から骨を移植する手術をしました」
Q:え! それは試合中のケガですか?
「いや、実は1年生の時にそのケガをしていたんですが、そのままプレーを続けていたんです。そしてある日の練習で本当に痛みが酷くなってしまって、そこでやっと病院に行ったら『手術しないと』となってしまいました(笑)」
Q:つまり痛いけど我慢してプレーしていたと?
「そうです。その頃は痛み止めの薬を飲んで練習も試合もやっていました。やっている最中はそんなに痛まなかったんですが、終わってからはけっこう痛くなっていました」
Q:確認なんですが、そもそもケガの発端はどんな状況だったんですか?
「何というかいつの間にかというか...。試合をやっていたらだんだんと痛くなってきて...」
Q:つまり疲労骨折ですか?
「そうです、そういう感じです。最終的な診断は疲労骨折と言われました。折れていたけど放っておいたら痛くなったので、病院に行ったら手術しろと言われた、という感じです(笑)」
Q:無茶しましたね(笑)
「けっこう無茶してましたね(苦笑)。最初の段階で休んでいたら普通に治っていたと思うんですが、そこで僕は1年間ぐらいプレーを続けてしまったので...」
Q:しかし何でそんな無茶を...
「休みたくなかったんです。その気持ちがすごく大きくて、1年生の年の選手権まではケガ人にならないでおこうって思っていて、選手権が終わったのでじゃあ病院に行こうかなって行ったら、『手術です』と言われちゃいました」
Q:痛みに強いんですね。
「どうなんですかね。薬が効いてくれただけだと思いますよ。でも効き目が切れた練習後の痛さはヤバかったです。毎日、夜は足の上に氷置いてました(笑)。でも、病院に行くと手術だって言われそうで、それが怖かったんです。選手権までは試合に出してもらえていたので、選手権まではと」
Q:しかしその影響で2年生の前半はほぼ休むことになったんですよね?
「そうですね、夏に復帰しました。復帰戦は5分だけの出場だったんですが、それでも死ぬほどキツかったです。感覚的な部分、ボールを蹴る分には問題なかったんですが、速い動きとか切り返す時の動きが鈍くて、周りについていけなかったです。結局、8ヵ月くらい治療とリハビリしていましたから」
Q:入院もしたんですよね?
「しましたね。でも6日間ぐらいでした。それでギプスをつけて退院して、という感じです」
Q:腰から骨を移植したのにそれだけの入院で済むんですね。
「そうなんですよ。自分もけっこう驚きました。3時間くらいの手術だったんですけど」
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