2020シーズン!約4000校ある中から自身で選びぬいた高校には、必ず理由があるはずだ。
前回に引き続き、今回は和歌山の強豪・初芝橋本高校の大月志浩選手に話を聞いたぞ!

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大月 志浩
■ポジション:DF、MF
■学年:2年
■身長/体重:162cm/52kg
■前所属チーム:板倉中学(群馬)
■自分の見てほしいプレー:運動量と左足でのクロス、熱い気持ち

Q:初芝橋本を選んだ理由を教えてください。
「小学生の頃、僕が住んでいた群馬県の代表校・前橋育英を応援しようと思って、選手権(第93回大会)を観に行きました。その試合の対戦相手が、和歌山県代表の初芝橋本でした。その年の前橋育英はとても強かったですし、初芝橋本は0−1で敗れましたが、左サイドからどんどん仕掛けていく末吉塁選手(モンテディオ山形)の戦う姿を見て、自分もこんな選手になりたいと思ったんです。また、僕のいた席には指示を出す阪中義博監督の声も聞こえていて、スタンドにいても熱い人だということがよく伝わってきました。当時は初芝橋本がどこにあるのかもわかっていませんでしたが、高校生になったらこの監督の下でサッカーをしたいと思いました。

中学校の修学旅行先は、京都でした。せっかく関西まで行ける機会だったので、友達に『うしても行きたい場所がある」とお願いして、自由行動の日に京都から電車を乗り継いで初芝橋本まで来ました。さすがに中には入れませんが、門の前まで来て校舎を眺めました。『これがずっと憧れていた初芝橋本高校なんだ』と思うと、なんだか夢みたいだなと感じました。

実は中2ぐらいになって、『サッカーはもういいかな』と考えていた時期もありました。でも、中3になって進路を真剣に考えたとき、『やっぱり初芝橋本に行きたい』と思ったんです。僕は『初芝橋本でサッカーをする』という進路を選びました。

中学3年になって初芝橋本の練習会に参加させてもらったとき、奇遇にも塁さんも教育実習で来ていて、一緒にボールを蹴らせてもらうことができました。本当に奇跡だったと思います。いろいろ話してもらいましたが、その中でも『君のように熱い気持ちの選手が来てくれたらきっと監督も喜ぶだろうから、ぜひ初芝橋本においで』と言ってもらったことが、とてもうれしかったです。

実際に入学してみると、監督は思っていた通り熱い人で、思っていた以上に僕らのことを考えてくれる素晴らしい監督でした。そんな監督の下で今サッカーができているという喜びを日々噛み締めています。サッカー部の部長をされている尾野未知先生も、僕が塁さんに憧れて入学したことを知ってくれているので、塁さんが載っている記事があればいつも教えてくれます。それもうれしくて。塁さんの記事を読んで刺激をもらい、僕ももっとがんばろうと思わせてもらっています。

最近実家に帰ったときに気づいたんですが、小学校の卒業文集に『初芝橋本に行く』と書いていました。自分でも何を書いていたか忘れていたので、驚きました。小学生の頃から強く願っていたことを今まさに実現できているのだと思うと、感慨深いです。普段は左SBをやらせてもらっていますが、最近はたまに左SHにも入らせてもらっています。憧れの塁さんが立っていた、あの"初芝橋本の左SH"だと思うと、夢のようです。進路を決めたときは反抗期だったせいで素直に表現できていませんでしたが、『3年間しかない高校生活だから』と快く送り出してくれた家族に本当に感謝しています」


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