今冬の高校サッカー選手権で初の8強入りを果たした埼玉の強豪・昌平高校サッカー部。今回はチームを率いる藤島崇之監督に、サッカーを始めたきっかけや高校時代の思い出、習志野高校で当時監督本田裕一郎先生についてなど、色々と語ってもらったぞ。

藤島 崇之
■現役時代のポジション:MF
■生年月日:1980年4月12日
■出身チーム:横浜栄FC(神奈川)→習志野高校(千葉)→順天堂大(千葉)
■好きな言葉:できない理由を探さない

Q:サッカーを始めたきっかけは何でしょうか?
「父親が元日本代表の選手だったのですが、サッカーをやれと言われた記憶がないんです。正直、すごくサッカーをやりたいと思っていた訳ではないんですが、地域の少年団で小学校1年生か2年生で始めました」

Q:サッカーを始めた当初はどのポジションをやられていたんですか?
「攻撃的なポジションを小学校の時はやっていましたね。動き出しで勝負するタイプではなく、仕掛けてとかボールを収めてゴールを奪うFWでした。高校入学当初もFWでしたね。習志野高校の1年途中まではFWで、本田裕一郎先生からMFにコンバートされた感じですね。FWには菅野拓真(元千葉ほか)と玉田圭司(現・長崎)もいましたから。錚々たるメンバーなんですよ。そういう意味では早めにポジションを変えてもらってラッキーでしたよね。みんな上手かったですから」

Q:玉田さんはやっぱり違いましたか?
「やっぱり別でモノが違いましたね。玉田は速いし、本当に上手い。味方にいるとラッキーですよね。ボールを渡せば、ゴールを奪ってくれますから。まあ、守備はしなかったですけどね(笑)。中盤には浦和でプレーしていた吉野智行もいて。いま、うちのスタッフにいる関隆倫(元大宮ほか)や村松明人も出ていましたから」

Q:習志野に進まれた理由を教えてください。
「横浜栄の監督の母校だったからです。その方がうちの父親のチームメイトであった縁もあり、練習参加の話をいただいたんです。そういうテストも含めて横浜栄が、習志野の1年生チームと対戦したんです。それで僕たちが勝ったのもあって、僕らのチームから3人が習志野に行きましたね。また、自分が中3の時に3つ上の廣山望さん(元東京Vなど)とか福田健二さん(元名古屋など)がインターハイで優勝しました。そこに影響を受けて、『行きたい』と思ったのは覚えていますね」

Q:当時習志野の監督だった本田裕一郎先生は現在も現場で指導をされています。当時はどんな監督だったんですか?
「やっぱり、人を惹きつける力に長けている方ですよね。これだけ選手が集まっているというのは、なかなかないですよね。ただ、今とスタンスは違うと思います。進化をしていく中で変わったのかなと。選手の入れ替わりは激しかったですけど、強烈に怒られることはなかったですね。今は丸くなられたと思いますけど、当時からめちゃくちゃ怖い感じではなかったですね」

Q:最後の高校サッカー選手権はどうでしたか?
「僕らは高校3年間で市立船橋に勝ったのは1回だけなんです。それが選手権予選決勝でした。本当に強かったのをいまでも覚えています。当時の市立船橋は西紀寛(元磐田ほか)や松田正俊(元甲府ほか)、1学年下の羽田憲司(元鹿島ほか)、黒河貴矢(元新潟ほか)、原竜太(元名古屋ほか)、2学年下には中澤聡太(元G大阪ほか)、本橋卓巳(元横浜FMほか)もいました」

Q:錚々たるメンバーですね。その当時から千葉の激しさを味わっていたというわけですね。
「僕らは第2代表で出場したインターハイで3位になりましたけど、市立船橋は優勝していましたからね。千葉選抜で参戦した国体で優勝をした際に僕も出場させていただいたのですが、面子がすごかった。市立船橋と習志野の選手がメインで、あとは幕張総合の田中マルクス闘莉王(元浦和ほか)も一学年下ですけど、いましたね。千葉ユースの阿部勇樹は怪我などで入っていなかったですけど、本当に豪華でした。当時、国体の登録メンバーは15人だったんですけど、そのうち11人がJリーガーですからね。Jクラブのサテライトと試合をしても普通に勝っていましたからね。このメンバーで試合をしても、僕は付いて行くのに必死でした。習志野でもみんな上手かったので、僕はボールを奪うところにフォーカスしてやっていましたね。それが良いとか悪いとかではなくて、ボールを奪って前に預ける。それが効率良く攻められるんですよ」

Q:そこから選手権で高校選抜に選ばれました。それも楽しかったんじゃないですか?
「メンバーに選ばれて、ヨーロッパにも行かせてもらったので良い経験でした。僕たちは選手権で初戦負けだったので選ばれるわけないと思っていましたし、入っても玉田ぐらいかなと。たまたまテレビで決勝を見ていて、自分が(高校選抜候補となる)大会の優秀選手に選出されていたのでびっくりしましたよね」

Q:順天堂大に進学されましたが、プロになりたいという想いはあったのでしょうか?
「高校時代からプロになろうと思っていませんでした。プロになる厳しさを僕は知っていましたし、自分のレベルでは難しいと感じていたんです」

Q:吉野さんとか玉田さんを見て来たからこそということでしょうか?
「そうですね。正直、玉田のレベルでサッカーはできないですよ。本当に凄かったですから」

Q:大学ではサッカーを続ける中で、指導者になれたらみたいな感じだったのでしょうか?
「指導者になりたいというか、なれたらいいなという感じでした。大学4年で想いが固まったので、卒業後は青森山田でコーチを務めました。縁があって中学で監督を務めさせてもらったのですが、本当に勉強になりましたね」


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