まもなく開幕する高校サッカー選手権!初戦であいまみえる京都橘の米澤一成監督と松本国際の竹野入潔コーチの対談企画をお届けするぞ!

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米澤 一成
■生年月日:1974年4月30日生まれ
■選手時代のポジション:左SB
■経歴:東稜高校~日本体育大学でプレー。卒業後は世田谷学園高校、近大高専を指導し、2001年の創部から京都橘を率いる。

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竹野入 潔
■生年月日:1974年4月4日生まれ
■選手時代のポジション:右SB
■経歴:県ヶ丘高校~日本体育大学でプレー。卒業後はサラリーマン生活を経て、3年前から松本国際高校と中学生年代の「CLUB MK U15」で指導を行う。

Q:お二人は、日体大サッカー部の同級生ですが、最初の印象を教えてください。
米澤「最初、潔は二浪かと思っていた(笑)。僕も潔も一浪してるんですが、潔は4月4日が誕生日なんですよ。だから、出会った頃には二十歳だった。見た目的に先輩だったけど、同じ新入生の輪にいるから、『この人二浪してるんだ』と思っていた。顔が疲れているなーって(笑)」
竹野入「一浪軍団は仲良かったよな。みんなでまとまっていた。お前、俺のこと好きだっただろ?(笑)」
米澤「大好きだったけど、俺以上に潔が俺のこと好きだったよな。遠くから見てくるお前の視線が怖かったよ(笑)。二人の関係は疑われていたと思うぞ(笑)」
竹野入「本当、学年全体が仲良かったよね」
米澤「今でも良いもんね」
竹野入「京都橘が全国に出たら、応援席に4,50人は集まる。みんなが年に数回集まるきっかけになっている」

Q:選手としてのお二人は、どうだったんでしょうか?
米澤「2人ともBチームでのプレーが長かった。潔が右SBで、僕が左SBでした。そこで、活躍して、2人ともトップチームに行ったりもしました。俺はBチームに上がる時も、Aチームに上がる時も母親の誕生だったんだよ」
竹野入「お母さんに感謝だな」
米澤「誕生日プレゼントとかしてこなかったから、良い機会だと思って電話したら、凄く喜んでもらえた。そしたら、次の年も同じことができて、嬉しかった」

Q:印象に残ってる試合はありますか?
米澤「Bチームが出場する体育会系の大会はよく覚えている。国士館に3タテを食らったり、苦しかった印象がある」
竹野入「どのチームも上手いんだよね」

Q:お二人が日体大で得た物は、大きかったですか?
米澤「僕が日体で良かったと思うのは、繋がりの部分。指導者の方だけでなく、どこに行っても色んな人が助けてくれる。当時の監督だった秋田(浩一)先生やアーリー・スカンズと出会えたのも含め、大学時代の出会いは大きかったし、後になって学んだことは多かったと思いました」
竹野入「僕も同じで、サッカーで関わった仲間が色んな所で頑張ってくれている。それは本当に心強い。気兼ねなく、色んなことが頼める関係が築けたのは大きい。松本国際の勝沢勝監督も日体大卒で、その繋がりがあるから、卒業してからずっと可愛がってもらっている。そういう縁があるから、今もサッカーに関われている。今になり、改めて日体大のパワーは凄いなと感じています」